スンミスタイルの歴史②
現在→過去の順で、
"スンミスタイル" 独自の
\クリチャーズチューニング/
が出来るまでの道のりを綴っています。
最初に綴ったのは・・・
"自由"
あなたにとってこの "自由" って
何だと思いますか??
この内容はこちらをどーぞ→自由な時代へ◎
そして、
スンミスタイルの歴史。
英語表記は『Sunme Style』です。
その由来と過去のお話はこちら→スンミスタイルの歴史①
さて、今日はスンミスタイルの歴史の続きです。
〜〜スンミスタイルの歴史②〜〜
約10年間、
医療業界に勤めていた私は、
悔しい思いを沢山経験してきました。
特に看護助手として勤めていた頃は、
毎日自分自身の無力感と葛藤していました。
今からお伝えする内容は私自身の見解ですが、
病院というのは完全縦社会の仕組みになっています。
なので、シンプルにお伝えすると、
《ドクター指示》
↓
《看護師指示》
↓
《看護助手》
という仕組みの中で業務を行います。
”上に逆らってはならない”
暗黙の了解の世界がそこにはありました。
(私自身が感じた解釈です。)
主な業務として、
●入院患者様のお食事介助
●オムツ交換
●お風呂介助
●汚物処理
●ベッドメイキング
1日に何度も入院と退院が繰り返される現場。
看取りの場でもありました。
そんな毎日慌ただしく流れていく緊迫した現場。
医療現場スタッフ・患者様・面会されるご家族やご友人。
本当に十人十色、様々な"性質"を持った方々と、
毎日接していました。
その中には・・・
非人道的な応対をする若いナース。
逆に、愛に溢れたお掃除のおばちゃん。
妊婦中の私を氣づかって下さるスタッフや患者様。
"様々な感情" がどんどん溢れてくる現場。
・・・
怒りを抑え、悲しみを堪え、
"ただただ業務をこなすだけ"
という仕事の仕方が性に合わない私は、
時間を見つけては、
ベッドで1人、天井を見上げている患者様たちに
お声がけをし続けていました。
(業務外のことなので隠れてこっそり・・)
ある時はカーテンを開けながら
「◯◯さん!おはようございます✨
今日はとってもお天氣がいいですよ〜!」
ある時はお茶入れの時に、
「◯◯さん♪今日はどんな1日にしたいですか〜?」
ある時はお風呂介助の移動中に、
「◯◯さん♪これからお風呂ですよ〜!
お身体きれいにすると氣持ちぃですよね♪
樂しみですね〜!!」
会話が出来る方・出来ない方に関係なく、
とにかく毎日、毎日、時間を見つけては、
お声掛けを続けていました。
そんなある日のこと。
寝たきりでいつも天井を見上げ、
声を一切発しず、目も合わせない男性。
身体は点滴などのチューブだらけ。
脳梗塞で半身麻痺になっている方が、
いつもの様に話かけていると、
『にこっ』と
笑みをこぼしてくれたのです。
「あ〜!!◯◯さん笑って下さいましたねぇ!!
嬉しい!!✨また笑顔見せて下さいね♪♪」
と、私自身とても感動したことを覚えています。
その時から、
「あぁやっぱり人はどんな状態であれど
"感情" がそのまま伝わるんだ!」
そんなことを実感した瞬間でもありました。
ある時は、手をぎゅーっと握って反応を示してくれたり、
声を出してくれたり。
その患者様だけでなく、色々な方々から、
"思いを込めたものは伝わる💓"
ことを教えて頂きました。
医療現場に10年。
悔しい思いもいっぱいしましたが、
その分、感動したエピソードもいっぱい。
ドクターじゃないと何も出来ない。
ナースじゃないと何も出来ない。
理学療法士じゃないと何も出来ない。
って劣等感でいっぱいだったあの頃。
人と比べながら生きてきた自分。
でも、
"今の自分にできること"
を見つけることが出来た時と、
"それ" を行動することによって
味わうことが出来た "感動" が
次の現場で活きることになるなんて、
その時の私は想像もしていませんでした。
【あなたにもそんな経験はありませんか?】
【劣等感でいっぱいの自分】
【人と比べて生きている自分】
そろそろ、それ、
【手放しませんか??】
・・・
最後までお読み頂きどうもありがとうございました💓
次はALS難病の方のホームヘルパー時代に遡ります。
つづく・・・